緊張の緩和理論という不完全なお笑い論

「緊張の緩和理論」という言葉を聞いたことがないでしょうか?
お笑いの手法について説明するときに、目にすることがあると思います。
実はこの理論は…不完全なのです。

お笑いやコメディなどで面白さを作るにはどうやるのだろう?と、お笑いの技術を調べるうちに「緊張の緩和理論」にたどりつくと思います。
緊張状態から緩和状態(解消される)になると笑いが起こる、という理論。
落語家の桂枝雀さんが説明した笑いの仕組みです。

果たして、そうなのか?
これは間違っていないのか?
個人的には間違っていないと思いますが、ただしこれをもってしてお笑いを語るにはあまりにも部分的と言えます。

まず、前提条件の説明から。
「緊張の緩和」という言葉の表現を理解するところから始めます。
「緊張の緩和」というのは「緊張状態から解消される(解放される)」という意味を表していると捉えます。
例えば、「渋滞の緩和」であれば「渋滞が解消される」となります。
ただし「渋滞が起こっていない平常時の状態」のことを「緩和」と言うわけではありません。対称的な構造から飛躍して「渋滞ではない」=「緩和」と取り違えないようにしたいところです。
あくまで、「渋滞から解消された」という「流れ」を前提とした話になり、「緊張の緩和」も「緊張から解消された」という意味として捉えて本記事の本題に入りたいと思います(※とはいっても、桂枝雀さんがどこまで想定しての理論なのか?)。

さて、本題です。
例えば、教室でテストが行われているとします。この時、生徒は緊張状態にあります。
テストが終わり、生徒たちは緊張から解放され安堵し、笑い声を上げながら仲間と話すことでしょう。
確かに緊張状態から解放されると無意識に笑いが起こりやすい(笑いが起こる)状況というのは私の個人的な経験でもあります。
この「テスト風景を演劇で観た」としても、緊張から解放された生徒を演じている役者を見て、観客も同じように安堵することでしょう。

緊張後の笑いの例はたくさんあります。
赤ちゃんとの遊び「いないいない、ばあ」は、「顔が隠れている状態 = 緊張」「顔が見えて笑う = 緩和」。
遊び「にらめっこ」は、「変な顔 = 緊張」「変な顔に耐え切れず笑う = 緩和」。
バラエティ番組「笑ってはいけない」は、「笑ってはいけない状況 = 緊張」「変な展開に耐え切れなくて笑う = 緩和」。
バトル漫画のあるある「こんな状況だって時に笑えてきやがるぜ」は、「ピンチ = 緊張」「マズイ展開に耐え切れなくて笑う = 緩和」。

じゃあ、逆は?
緊張状態に移ったときには笑いが起こらないのか?
テストの合間の休憩が終わり、テストに入った時は誰も笑いません。
さすがにテスト中に笑い声を上げるなんてことは起こらないのは当然です。先生に怒られます。
ということは、緊張から緩和するときには笑いが起こり、逆に、通常の状態から緊張状態に移行するときは笑いが起こらないという理論は正しいと言えます、と結論づけたいところですが、そうはならないと思います。
テスト中に笑いが起こらないのはあくまで常識的な話だからです。

例えば、「教室で生徒たちが休憩中に、厳しい先生が急に教室に入ってきた」という演劇があったとします(※『8時だョ!全員集合』で言えば、いかりや長介さんのような恐い存在)。
生徒たちは談笑をやめ、背筋を伸ばし、真剣な表情を浮かべ、さっきまでの和やかなムードが一変して緊張状態に入ります。
これを演劇として見た場合は、観客は笑うことでしょう。
なぜなら、「納得感」があるからです。

先に説明したテスト後に談笑に入るのも、談笑中に厳しい先生が教室に入ってきて緊張状態になるのも、どちらも「演劇という形で客観的に見るのであれば納得感があるから笑いは起こる」のです。
難しい言い方をすれば、「合理的な構造性」が存在するからです。
社会や文化など、私たちの生活を送るうえで築き上げられた価値観が存在します。
その価値観に合うことが起こると、そこに合理的な構造が発生します。つまり、理にかなった現象になっています。
そこに納得感が生まれ、脳内が瞬間的に興奮状態に陥り、本能的に笑いが起こるのです。

要は、「納得感」さえあれば、緊張状態と緩和状態の順序というのは問われないので、「緊張の緩和理論」という「緊張から緩和」という流れでなくても「緩和から緊張」という流れでも笑いが起こるのです。

そもそも「緊張と緩和」というのは対照的な状況を作り出すことで、価値の変化を把握しやすくさせたり、またそれを説明したりするのに都合が良いだけの話なので、必ずしもお笑いの技術に緊張と緩和を必要とするわけではありません。
あるあるネタって記憶に潜在している個性的な出来事や価値観に合致するネタとして見せ、「確かにそうだね!(※納得感の発生!)」と思わさせさえすれば笑いが起こるので、緊張なんて関係ありません。

特に客観的に見た場合に起こり、主観的には起こりません。
当事者(主観)として発言・行動している場合は、合理的な構造性を意識せずに振る舞っているので、納得感を感じるほどの解釈をしている暇はありません。
それが客観的になった場合は、洞察力が働き、事細かに事態の把握に務め、合理的な構造性を認識することで、笑いを引き起こします。

もしネズミのアニメ映像の途中で、ネズミの実写映像に切り替わったらどう思うでしょうか?
映像が切り替わった瞬間に、意外性(違和感)が発生します。
ではこの映像を作った人が自分と一番仲良くしている友達だったとしたら?
「アイツがやりそうなことだな(笑)!(※好意 + 納得感)」「こんなことするヤツだっけ(笑)!(好意+やや納得感 > 違和感)」「こんなことするヤツだっけ………?(好意+納得感 < 違和感)」
構造以外にも付加される情報によって面白さに違いが出ます。
その付加される情報というのは脳内に潜在している膨大な量の記憶によるものなので、構造的には単純でも、いったい何が面白さを作りあげているのかは簡単には説明がつかない場合があります。

ただし脳機能的な話で言えば、緊張の緩和理論は的を得ています。
交感神経(緊張)と副交感神経(緩和)によって脳機能的な変化が笑いを作り出します。

お笑いの技術的には多種多様な方法があります。
その中で「緊張の緩和」というのは、対照的な構造性を演劇や漫談という形で作り出して、その変化の差から発生させた構造で納得感を作り出す、という方法の一つにしかすぎません。
だから、桂枝雀さんの「緊張の緩和理論」をもってして笑いの仕組みを語るにはあまりにも説明不足すぎます。
また、インターネット上で、同じく「緊張の緩和理論」を用いてお笑いの仕組みを説明している方も同様です。世の中にお笑いの理論を語る人がほとんどいないので、桂枝雀さんの理論に乗っかるあまりにも説明が不足しているのを見かけます。場合によっては、無理矢理と思えるような理論に結びつけているケースもあります。
まあ、「緊張状態を作り出し、緩和させる」という方法は笑いを説明するには手っ取り早いし、演劇的には構造を作りやすいので、「お笑い理論の入門」として初心者向けに説明するぶんにはアリかなと思います。

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